思い出に残るカムイ外伝

今回は白戸三平のカムイ外伝の中の「名張の五ツ」についてお話しし

ます。

白戸三平、カムイのことをご存じのない方のためにウィキペディア

より引用説明します。

白戸三平について(以下ウィキペディアより引用)

[1932年、東京府東多摩郡(後の杉並区)に出生。幼少時は画家をし

ていた父の活動により大阪の被差別部落朝鮮人部落など各地を転々

とする。

1944年、私立練真中学校(旧制)に入学。直後に戦争が激化したため、

長野県小県郡中塩田村(現上田市八木沢駅付近)に一家疎開し、

旧制長野県立上田中学(現長野県上田高等学校)に通う。この旧制

中学にいた白土牛之助という軍人の苗字が、後にペンネームの由来

となる。特高警察の拷問の後遺症で脊椎カリエスを病んでいた

父に代わり、山仕事や力仕事で家計を支える。1年ほど塩田で過ごし

た後、真田へ引越しさらにその後、西塩田に引越した。

1946年、東京に戻る。東京都練馬区被差別部落に住んでいたことも

あり、弟の親友の荻原栄吉は後に部落解放同盟練馬支部長となった。

荻原は「『カムイ伝』など白土三平の漫画には練馬での体験が影響し

ているのかと思うことがある」と述べている。]

カムイ外伝について(以下ウィキペディアより引用)

[『カムイ伝』で抜忍となったカムイは、変移抜刀霞斬り(へんいばっ

とうかすみぎり)や飯綱落し(いづなおとし)といった必殺忍法や、

自己暗示等の技を駆使しつつ執拗に迫る追っ手と戦い、村々で起こる

事件を解決しながら、終わりの無い旅を続けていく。エピソード内、

カムイは下人や黒鍬・樵・漁師に代表される肉体労働者といった

江戸時代の様々な階級に身をやつしている。]

少し引用が長くなりました。私が初めてカムイを読んだのは小学生の

頃、アニメの「忍風カムイ外伝」を見たのは中学の頃だと、記憶して

います。

白戸三平の生い立ちについてはこの記事を書くために調べて初めて

知りました。

弟の友人の「白戸三平の漫画には練馬での体験が影響している」と

言っているのはそのとおりだと思います。

というのは、白戸の漫画で別にアニメ化された「サスケ」では

アニメの冒頭で「光あるところに影がある」といい、忍者が影で歴史

を作ってきたと言っています。本当に歴史を作ってきたのは名もない

人々なのだと白戸は言っているのだと思います。

松本清張の高校殺人事件を読んで

私は、松本清張が好きで若い頃よく読みました

松本清張は1953年に「或る小倉日記伝」で芥川賞を受賞し、その後

「点と線」、「ゼロの焦点」、「砂の器」等で社会派推理作家の第一人者

となって行きます。

私が、初めて読んだ清張の本は「高校殺人事件」です。高校生向けの

月刊誌に連載されたものを一冊の新書版にしたものです。

もう、40年以上昔のことですが、東京での大学受験を終え、自宅に帰る

特急列車の中で読みました。東京駅から私の地元の駅までは4時間ほど

でしたが、列車の中で読み切りました。大昔のことで詳しいストーリーは

記憶にありませんが、仲良しの高校生のグループの一人が殺されてしまい

残された友人たちが、犯人を追い、事件を究明するというものでした。

高校生向けなので、社会派ものではありませんが、本の中に引き込まれて

一気に読み通しました。それから清張の本をよく、読むようになりました。

これから、お話しするのは、餅が凶器にされた事件です。

清張の短編集にありました。あらすじとしては初老の男が若い未亡人に

関係を迫るのですが反対に殺されたしまうというものです。また、清張の

社会派的な面が出ていたのは、「事件の起こった村は隣近所が皆親戚関係の

ような閉鎖的なところで、警察が捜査に協力してもらえず困ったと書いて

あった事です。」(これは記憶で書いているので、他の作品と混同している

のかもしれません。)捜査を進めていくとその未亡人が怪しいということに

なり、家宅捜索をしたのですが、凶器がみつからず、事件は迷宮入りとなり

ました。事件の捜査でこの未亡人の自宅を訪れると柿餅やぜんざいを振舞っ

ていて、近所の親しい人達に食べさせているところで、刑事たちも、一緒に

ご馳走になりました。

事件の真相が解明されぬまま、月日が経ち、刑事は自宅に居る時、固くなっ

た重い餅を足の上に落とします。このとき、刑事は「アッ」と思います。

あの時食べた餅が凶器だったのではと、食べてしまったのでは見つかる

はずがありません。その短編集で記憶に残っているのはこの作品だけです。